タレントの清水国明さんを弟に持つ橋本真由美さんですが、清水国明さんをブックオフのCMに起用したことから、ブックオフの役員であったことが知られています。
橋本真由美さんは、パートから店長へ、さらには社長へと登り詰めた経歴を持っています。
今回は、そんな橋本真由美さんの
- 橋本真由美さんが時給600円のパートから社長にまで昇進した経歴
- 橋本真由美さんの現在
こちらについて調査しました。
橋本真由美のプロフィール
- 名前:橋本真由美(旧姓:清水)
- 生年月日:1949年3月21日
- 出身地:福井県
- 最終学歴:愛知県一宮女子短期大学家政科
卒業後は京都にある給食会社「魚国」に就職しましたが、諸事情により退職。
その後、福井市の病院で栄養士として勤務し、そこで出会った男性患者と結婚して病院を退職しています。
2人の娘をもうけ、結婚後は18年間専業主婦として尽力しました。
橋本真由美さんのブックオフでの経歴
まず、こちらが清水国明さんを起用したブックオフの初回CMです。
橋本真由美さんは、弟の国明さんの起用について
と話し、清水国明さんもこれを受け入れます。
それでは、そんな弟思いな橋本真由美さんの、ブックオフでの経歴について紹介していきます。
オープニングスタッフ募集
娘たちが大きくなって手が離れたことで、橋本さんは家計の足しにとアルバイトを探します。
最初は、経験のある栄養士の仕事を探しましたが見つからず…。
たまたま見つけて応募したブックオフの求人が、1号店のオープニングスタッフでした。
このとき橋本さんがお店に提出した勤務条件は
- 子どもの塾への送迎のため仕事は夕方4時まで
- 土日は夫が家にいるから休みが欲しい
というものでした。
2週間後には仕事に夢中に
23歳で結婚して41歳まで専業主婦をしていた橋本さんが働くのは18年ぶりで、とても緊張したそうです。
1号店オープンの直前に勤務し始めた橋本さんは、追いつかない開店準備に必死になりました。
2週間経つころにはもう仕事に夢中で、朝の4時まで働く日もあったんだとか。
さらに、当時の創業社長から、店内のイメージを伝えられたことで橋本さんは奮起します。
橋本さんは開店日までの間たくさんの本に紙ヤスリをかけて白くしたり、床やトイレも念入りに清掃して、イメージに近い店づくりに意欲を燃やしました。
自分が手を加えることでヨレヨレだった本がきれいになり、棚に入っていくのを見ているのが楽しかった。
「橋本さん」と呼ばれることが嬉しい
今までは、「○○ちゃんのママ」や「橋本さんの奥さん」と呼ばれていたという橋本さん。
しかし仕事では「橋本さん」と呼ばれ、自分自身を認められた気がします。
ご主人名義のものしかなかった銀行の通帳も、18年ぶりに自分のものを作り、それがすごく新鮮だったそうです。
夫と喧嘩になることも
仕事に夢中になるあまり、仕事のことではご主人としょっちゅう喧嘩をしたという橋本さん。
ご主人とこのように約束していた橋本さんでしたが、ある日、ご主人に出張用にと頼まれていたワイシャツの用意を忘れてしまいます。
俺とブックオフ、どっちが大事なんだ!
ブックオフよ!
こんなやりとりもあったんだとか。
ご主人は、自分よりブックオフに夢中になる橋本さんに、少し寂しい思いを抱いていたのかもしれませんね。
2号店を任されパート店長に
働き始めて数ケ月で2号店の店長を任されたという橋本さん。
必死に働きましたが、それはスタッフに伝わらず売り場はガタガタでした。
倉庫には在庫の段ボールが山積みで、スタッフの接客態度もいいとは言えず…。
当然、売上は上がらなかったそうです。
アルバイト開始から1年で社員に
仕事が目の前に山積みにもかかわらず、アルバイトだと時間になったら帰らなければいけない…。
橋本さんは、正社員になればこの問題が解決できると考えました。
そして自分から「社員にしてください」と言って、アルバイト開始から1年で社員として働き始めます。
これまでの橋本さんの献身的な態度が認められたのでしょうね。
閉店の危機
オープンの当初は、1日の売上が10万円前後だったといいますが、徐々に下がりだし、3万円台まで落ち込んだ頃、創業者に閉店の危機を告げられました。
橋本さんはスタッフたちに、危機の状態にあることを、涙ながらに正直に打ち明けました。
普段はダラダラ仕事をしていたスタッフたちも、これがきっかけで、店を残そうと率先して動くようになったといいます。
そして、1日の売上が3万円から20万円に増えたことで、閉店を免れることができたのです。
ヒト・モノ・カネ・モチベーション
事業に不可欠な経営資源として「ヒト」「モノ」「カネ」がありますが、橋本さんは第4の経済資源として「モチベーション」を挙げています。
スタッフの「やる気=モチベーション」をいかに上げられるか、それがリーダーの腕の見せどころだと話します。
橋本さんがスタッフのモチベーションを上げるために大切だとしていることが、以下の3つです。
- きちんと褒めて、きちんと叱り、正当な評価をする
- 一生懸命に働くスタッフをきちんと見極めて褒める
- スタッフと同じ目線・同じ気持ちで働く
「頑張る人がバカをみる」組織であってはいけないと考え、スタッフと一緒になって汗をかくことが、正当な評価をするために必要だといいます。
橋本さんのような上司だったら、仕事にやりがいも生まれそうですよね。
橋本さんの元で働けたスタッフが羨ましいですね。
取締役に昇進、ついには社長に
1990年当時41歳で働き出してから、4年後の1994年には取締役に昇進し、全国を駆け回ります。
出張に行く際は、ご主人とよくこんな取引をしたそうです。
高知で新店がオープンするから、泊まりがけで出張させてほしい。
新しいゴルフクラブ買うぞ!
どうぞどうぞ。では出張に行かせていただきます。
ちょと微笑ましいやりとりですよね。
橋本さんは、その後2003年に就いた常務取締役を経て、2006年にはついに社長になります。
社長にまでなった要因について橋本さんは
と話しています。
「パートから社長」という異例の経歴が注目され、記者会見には、マスコミが100社も集まったんだとか。
小売業の上場企業の社長の年収は、数千万円から数億円とされています。
橋本さんも社長就任時はそのくらいの年収だったのでしょうか。
時給600円からのキャリアアップ成長が目覚ましいですね!
社内の問題が発覚し、社長を退任
社長に就いて1年後の2007年5月に、グループぐるみの不正会計問題が発覚しました。
橋本さんは、常務時代に架空売上げの計上を黙認したとして大バッシングを受けました。
マスコミからの攻撃に橋本さんはすっかり参ってしまいます。
泣いてばかりいたという橋本さんですが、昔からの社員が守ってくれたことで気持ちを切り替えます。
調査委員会を発足して、原因究明と再発防止策の立案に取り組み、失った信頼を取り戻そうと努めました。
その後は責任を取り社長を退任し、代表権のない取締役会長に就任しています。
ちょうどいい区切り
橋本真由美さんは、取締役会長を務め、相談役を経たあと2018年9月に、ブックオフを卒業しました。
ブックオフがホールディングスとして生まれ変わるという時期が重なり、ちょうどいい区切りかなと思ったそう。
30年近くも働いた会社を卒業するのは寂しかったという橋本さんですが、同時に、
このように思い、若い人が引っ張って、時代に合わせて会社は変わっていくべきと思っての卒業だったそうです。
会社の新陳代謝を図るためでもあったということですね。
最後まで会社のことを思って、ブックオフへの愛が溢れていますよね。
橋本真由美さんの現在は?
橋本真由美さんは現在、公益財団法人相模原市まち・みどり公社の理事長に就任しています。
ブックオフを退社後は数年、趣味の三味線やパッチワークなど、自分の時間を過ごすようになっていたという橋本さん。
新理事長選任について、市から「民間の方を入れたらどうか」との提案があったことで、ブックオフの代表取締役の経験を持つ橋本さんに声がかかります。
ブックオフは相模原の企業。地元のために何かお役に立てるならと、2023年74歳で理事長を引き受けました。
やはりここでも、ブックオフが活きているのですね!
この年齢になってこんな話はなかなかいただけない。
驚いたと同時に感謝しています。
まとめ
今回は、清水国明さんの実姉、橋本真由美さんについて調査しました。
橋本さんは、今でもブックオフに足を運ぶそうで、30年間務めた職場への愛がうかがえますね。
相模原市まち・みどり公社の理事長に就任してからは、市民の役に立つ働きをしたいと意気込みます。
理事長としての橋本真由美さんの活躍も、応援していきたいですね!
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