フジテレビで活躍中の山本賢太アナウンサー。
“ヤマケン”の愛称で親しまれている彼ですが、実は慶応大学野球部出身ということで、当時の画像やエピソードが気になりますよね!
今回は、山本賢太アナウンサーの野球部時代について調べました。
山本賢太アナのプロフィール
山本賢太アナウンサーのプロフィールは以下の通りです。
- 名前:山本賢太(やまもと けんた)
- 生年月日:1998年4月11日
- 血液型:A型
- 身長:179㎝
- 出身地:東京都板橋区
- 出身小学校:不明
- 出身中学校:板橋区立赤塚第一中学校
- 出身高校:慶応義塾高校
- 出身大学:慶応義塾大学 商学部
山本アナは小学生時代から野球をしていて、野球歴は14年にもなるそうです。
野球を始めたきっかけは新庄剛志
小学生時代の山本アナは、北海道日本ハムファイターズの元選手で現監督の新庄剛志さんに憧れ、地域の少年野球チームに入りました。
ヒーローインタビューを受ける新庄さんを見た山本アナは、「新圧になりたい!」と思ったそうです。
かっこよくて野球のスーパースターである新庄さんに憧れを抱いたといいます。
山本アナが観に行った巨人日ハム戦で、新庄さんはホームランを打ち、「新圧!」と叫んだ山本アナに手を振ってくれたのです。
もう大好きになって、帰りに新庄剛志グッズを買い込んだそう。
野球やります。新庄剛志になります。
最初は母親に反対されたそうですが、新庄剛志になりたいという熱意が伝わり、野球を始めることを許してもらいました。
山本アナは、小学生時代は東京ヤクルトスワローズジュニア、中学生時代は東京神宮リトルシニアで、それぞれキャプテンを務めています。
山本賢太アナは慶応高校・慶応大学の野球部!
山本アナは、2014年~2016年に慶応高野球部に在籍、2017年~2020年に慶應義塾体育会野球部に在籍していました。
自分にできるのは「声を出すこと」
山本アナは推薦入試で慶應義塾高校に入学し、1年生の時から1軍に帯同しながらも結果が残せずにいたため、高校2年生の時に2軍に降格してしまいます。
「人生終わった」と思ったという山本アナですが、そこで終わらず「自分がチームにできることは何か」を考えたのです。
2か月3か月と声を出し続けたことで、ミーティングでは「賢太の声出しを学べ」と言われるように。
そして、「山本賢太はめちゃめちゃ声出すチームのムードメーカーだ!」とチーム内での立場を確立させます。
この声出しが、チームでの生き方を見つけさせてくれた転機であったと山本アナは話します。
これがきっかけで僕の野球人生は始まったと今は思います
その後、高校3年の時に外野手としてベンチ入りしています。
『日々成長』が僕らの代の時の合言葉だったという山本アナ。
その言葉通り、日々成長していく様子が見て取れるエピソードですよね。
「拡声器やまけん」と覚えてください
山本アナは、慶應義塾体育会野球部で一塁手としてプレー。
ムードメーカーとしての声出しも継続し、チームを盛り立てます。
グラウンドでは拡声器を使って声を出しています。「拡声器やまけん」と覚えてください。
毎日、野球の日々だったという大学生時代。
大学1年生の時は、朝4時に起きて夕方6時まで、練習の手伝いと自分たちの練習をしていたそうです。
そのあと夜はトレーニングと、多忙を極めていた山本アナ。
学業との両立もかなり大変であったことが想像できますね。
レギュラー入りは叶いませんでしたが、『声出し元気印として慶應のユニフォームをもらっている』と明るく声を張り上げます。
先輩後輩限らず、全員巻き込めるくらいの声の大きさだっただったそうです。
そのせいもあり、喉に異常が起きてしまったことで最後の1年間は声を出さないように選手を辞めて、学生コーチとしてチームを支えました。
たくさんのことを野球から学びました
山本アナは、大学野球で「組織での生き方を見つける」ということを自分の中の答えとして導き出したそうです。
自分の結果が思わしいものでなくとも、チームとしての自分の役割は何なのか?と思考を切り替えてアプローチする姿が素敵ですよね。
自分の力でチームが勝つには?
「自分の力でチームが勝つにはどうすればいいのかを考えろ」ということを、先輩からずっと言われてきたという山本アナ。
慶応大は、2019年山本アナが3年生の時に、明治神宮野球大会で優勝しています。
それは、声でチームに貢献した山本アナの功績も大きかったのでしょうね。
山本賢太アナがアナウンサーを目指した理由は?
実は学生の頃から、進行役を任されることが多かったという山本アナ。
高校の文化祭や大学の体育会のお祭りで、司会をやらせてもらったことがきっかけで、アナウンサーになりたいと思ったんだとか。
たくさんの人を盛り上げて、みんなが笑ってくれるのが楽しくて、「これが仕事になったらいいな」と思ったといいます。
野球をやっていたのでスポーツ中継も結構見ていて、心に残る実況というのに憧れて、実況もやりたいと思ったことでアナウンサースクールに通い始めたそうですよ。
野球部時代、力を入れていた声出しの経験も、しっかり活かせる職業だと思います。
人事担当によると「心配はしたがフジテレビ愛が溢れていたので、伸びしろを見込んで採用した」とのことで、これからの活躍も楽しみですね!
まとめ
今回は、フジテレビ山本賢太アナウンサーについて紹介しました。
慶応野球部では、厳しい環境の中、明るく自分の役割を果たすがんばり屋な姿が印象的でしたね。
明るくてどこか憎めない山本賢太アナウンサーの、今後の活躍も応援したいですね!
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