建築界の最高峰とされる「プリツカー賞」を、2024年に受賞した建築家の山本理顕(やまもと・りけん)さん。
2026年には、東京の再開発やタワーマンションをめぐる発言でも注目され、「どんな経歴の建築家なの?」と気になった人も多いのではないでしょうか。
調べてみると、日本大学から東京藝術大学大学院へ進み、国内外の公共施設や集合住宅を数多く手がけてきた人物だと分かりました。
今回は、山本理顕さんの学歴やこれまでの経歴、プリツカー賞を受賞した理由、代表作について見ていきましょう!
山本理顕は何者?wikiプロフィール
横浜市長選に建築家の山本理顕氏が立候補 プリツカー賞受賞 https://t.co/r6nEiNK8z9
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) October 3, 2026
山本理顕さんは、住宅や大学、美術館、公共施設などを国内外で手がけてきた日本の建築家です。
まずは、基本的なプロフィールから見てみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 山本理顕 |
| 名前の読み方 | やまもと りけん |
| 生年月日 | 1945年4月15日(81歳)※2026年10月現在 |
| 出生地 | 中国・北京 |
| 育った場所 | 神奈川県横浜市 |
| 職業 | 建築家・教育者 |
| 出身大学 | 日本大学理工学部建築学科 |
| 最終学歴 | 東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了 |
| 設計事務所 | 株式会社山本理顕設計工場 |
| 主な受賞歴 | プリツカー賞、日本芸術院賞、日本建築学会賞作品賞など |
山本理顕さんは北京で生まれ、終戦後まもなく横浜へ移りました。
幼少期に暮らした家は、表側が母親の薬局、奥が家族の生活空間という造りだったそうです。
この環境が、のちに山本さんが追求する「公共と私的空間の境界」という考え方につながっていきました。
山本理顕の学歴!日本大学から東京藝術大学大学院へ
山本理顕さんは、日本大学理工学部で建築を学んだあと、東京藝術大学大学院へ進学しています。
現在の世界的な活躍につながる学歴を、順番に見ていきましょう。
日本大学理工学部建築学科を卒業
山本理顕さんは、1968年に日本大学理工学部建築学科を卒業しました。
17歳の頃に奈良県の興福寺を訪れ、月明かりに照らされた五重塔を見たことが、建築を強く意識するきっかけになったといいます。
歴史ある建物との出会いが、世界的建築家への最初の一歩になったとは印象的ですね…!
東京藝術大学大学院で建築を学ぶ
日本大学卒業後は、東京藝術大学大学院美術研究科の建築専攻へ進学。
1971年に大学院を修了し、建築の専門性をさらに深めました。
日本大学と東京藝術大学大学院という学歴からも、技術と芸術の両面を学んできたことがうかがえます。
原広司研究室で世界各地の集落を調査
大学院修了後は、東京大学生産技術研究所の原広司研究室で研究生となりました。
建築家の原広司さんとともに、地中海沿岸や中南米、イラク、インド、ネパールなどを訪問。
さまざまな地域の集落や人々の暮らしを調査し、建物だけではなく、人と人との関係まで含めて建築を考える視点を身につけていきました。
山本理顕の経歴!設計事務所の設立から大学学長まで
山本理顕さんは設計活動だけでなく、大学教授や学長として建築教育にも長く関わっています。
これまでの主な経歴を、時系列でまとめました。
| 年 | 主な経歴 |
|---|---|
| 1968年 | 日本大学理工学部建築学科卒業 |
| 1971年 | 東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了 |
| 1971年 | 東京大学生産技術研究所・原広司研究室研究生 |
| 1973年 | 株式会社山本理顕設計工場を設立 |
| 2002年 | 工学院大学教授に就任 |
| 2007年 | 横浜国立大学大学院教授に就任 |
| 2011年 | 横浜国立大学大学院客員教授、日本大学大学院特任教授に就任 |
| 2018年 | 名古屋造形大学学長に就任 |
| 2022年 | 東京藝術大学客員教授に就任 |
| 2024年 | 神奈川大学客員教授に就任 |
| 2024年 | プリツカー賞を受賞 |
| 2024年 | 横浜国立大学と日本大学から名誉教授・名誉博士の称号を受ける |
| 2025年 | 世界経済フォーラムのクリスタル・アワードを受賞 |
1973年に山本理顕設計工場を設立
山本理顕さんは、大学院修了から2年後の1973年に「山本理顕設計工場」を設立しました。
初期は個人住宅を中心に設計し、次第に集合住宅、学校、美術館、市役所、空港周辺の大規模複合施設へと活動の幅を広げています。
小さな住宅から海外の巨大プロジェクトまで手がけているのですから、経歴のスケールがすごいですよね!
工学院大学や横浜国立大学で教壇に立つ
2002年から工学院大学教授、2007年から横浜国立大学大学院教授を務めました。
その後も横浜国立大学、日本大学、東京藝術大学などで学生を指導しています。
設計の現場で得た経験を、次世代の建築家へ伝える役割も担ってきたということですね。
名古屋造形大学の学長に就任
2018年から2022年までは、名古屋造形大学の学長を務めました。
2022年に完成した同大学の新キャンパスは、山本理顕さん自身が設計しています。
大学を運営する立場と、学びの場所を設計する立場の両方を経験した、珍しい経歴の持ち主です。
山本理顕がプリツカー賞を受賞!何がすごい?
山本理顕さんは2024年、建築界の最高峰とされるプリツカー賞を受賞しました。
プリツカー賞は「建築界のノーベル賞」とも呼ばれ、山本さんは53人目、日本人では9人目の受賞者です。
評価されたのは、目を引くデザインだけではありません。
山本さんは、住宅や学校、公共施設の中に人々が自然に出会える場所をつくり、公共空間と私的空間を緩やかにつないできました。
建築によって孤立を減らし、コミュニティを生み出そうとしてきた姿勢が、世界的に高く評価されたのです。
つまり、山本理顕さんのすごさは、建物の美しさだけでなく、「そこで人々がどう暮らすか」まで設計していることにあるといえそうです!
山本理顕の代表作5選
山本理顕さんは、国内外で住宅や大学、美術館、大規模複合施設などを設計してきました。
なかでも、山本さんの「コミュニティをつくる建築」という考え方が伝わる代表作を5つ紹介します。
熊本県営保田窪第一団地
1991年に完成した、熊本県の集合住宅です。
約110戸の住戸を共有広場の周囲に配置し、住民同士のつながりが生まれるよう設計されました。
家族のプライバシーを守りながら、地域との関係も閉ざさないという、山本さんの考え方を象徴する作品です。
埼玉県立大学
1999年に完成した埼玉県立大学は、ガラスを多く使用した開放的なキャンパスが特徴です。
学科や専門分野の壁を越えて学生や教員が交流できるよう、建物同士がデッキや通路でつながっています。
この作品では日本芸術院賞なども受賞しており、山本理顕さんの代表作の一つとなりました。
公立はこだて未来大学
2000年に完成した公立はこだて未来大学は、大きな吹き抜け空間の中に研究室や学習スペースが配置されています。
研究している姿がお互いに見えるため、学生や教員の間に偶然の交流が生まれやすい設計です。
2002年には、この作品で日本建築学会賞作品賞を受賞しました。
横須賀美術館
2007年に開館した横須賀美術館も、山本理顕さんの代表作として知られています。
東京湾を望む景観をできるだけ遮らないよう、展示空間の多くを地中に配置。
ガラスに包まれた印象的な外観と周辺の自然が調和し、日本建築家協会賞などを受賞しています。
ザ・サークル・チューリッヒ国際空港
2020年に完成した、スイス・チューリッヒ国際空港に隣接する大規模複合施設です。
ホテルやオフィス、商業施設などを一つの街のようにまとめ、人が行き交う公共的な空間をつくりました。
日本国内にとどまらず、世界規模のプロジェクトでも山本さんの思想が生かされていることが分かります。
山本理顕の現在は?都市再開発への発言も話題
山本理顕さんは、2024年に神奈川大学客員教授へ就任しました。
さらに2025年には、世界経済フォーラムの「クリスタル・アワード」や「Abu Dhabi Festival Award 2025」を受賞しています。
2026年も、建築設計だけでなく、都市再開発やタワーマンション、地域コミュニティをテーマにした対談やインタビューへ出演。
大規模開発によって地域のつながりが失われることに警鐘を鳴らし、建築家の立場から積極的に意見を発信しています。
プリツカー賞を受賞したあとも、建物を造るだけでなく、街や社会のあり方そのものを問い続けているようです。
まとめ
今回は、建築家・山本理顕さんの経歴や学歴、代表作について紹介しました。
- 日本大学理工学部建築学科を卒業
- 東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻を修了
- 1973年に山本理顕設計工場を設立
- 横浜国立大学教授や名古屋造形大学学長を歴任
- 2024年にプリツカー賞を受賞
- 公共と私的空間をつなぎ、コミュニティを生み出す建築が特徴
住宅から大学、美術館、海外の大規模施設まで手がけてきた山本理顕さん。
華やかな受賞歴の背景には、人々の暮らしや地域のつながりを考え続けてきた、50年以上の積み重ねがありました。
これからも、建築と社会についてどのような提言を発信していくのか注目したいですね!