【立命館大】有馬伽久のwikiプロフィール!出身中学や高校・家族は?

明治神宮大会で10者連続奪三振という、驚きの記録をつくった立命館大学の有馬伽久選手。

3イニングをすべて三振で終えても9人なので、そこからさらに1人という数字には、思わず二度見してしまいます。

そんな有馬選手ですが、高校時代は外野手としてもプレーし、野球を始めたきっかけはお兄さんだったそうです。

この記事では、有馬伽久選手のwikiプロフィールをはじめ、出身中学・高校、大学での経歴、家族とのエピソードを紹介します!

目次

有馬伽久のwikiプロフィール!名前の読み方や出身は?

有馬伽久選手は、奈良県田原本町出身の左投げ左打ちの投手です。

「伽久」という名前は、初めて見ると読み方に迷いますが、「がく」と読みます。

名前有馬伽久
読み方ありま がく
生年月日2004年7月29日
年齢22歳(2026年10月22日時点)
出身地奈良県田原本町
身長175cm
体重80kg(2026年9月の日刊スポーツ報道)
所属立命館大学 体育会硬式野球部
学部・学年産業社会学部4回生(2026年度)
ポジション投手
投打左投げ左打ち
最速151km/h
憧れの選手東克樹選手

体重は2025年の侍ジャパン公式プロフィールでは77kgとされており、掲載時期によって違いがあります。

プロ野球の投手には180cmを超える選手も多いなか、有馬選手は175cm。

その体から150km/hを超える直球を投げ込むのですから、身長の数字だけでは分からない力強さがありますね。

有馬伽久の出身中学・高校は?奈良から愛工大名電へ

有馬選手の出身中学は田原本中学校で、高校は愛知県の愛知工業大学名電高等学校です。

小学校から大学までの野球歴を並べると、次のようになります。

小学校平野小学校/平野パイレーツ
中学校田原本中学校/軟式野球部
高校愛知工業大学名電高等学校
大学立命館大学 産業社会学部

小学生で野球を始め、中学では軟式野球部に所属

野球を始めたのは、小学1年生のころです。

地元の平野パイレーツでプレーし、中学では田原本中学校の軟式野球部に所属していました。

大学の日本代表に選ばれる投手と聞くと、中学時代から強豪の硬式クラブにいたのかなと思いがちですが、有馬選手は学校の部活動で経験を積んできた選手です。

奈良で野球を続けたあと、高校では県外の愛工大名電へ進みました。

愛工大名電では甲子園ベスト8!外野手としてもプレー

愛工大名電では2年生と3年生の夏に甲子園へ出場し、3年生だった2022年夏はエースとしてベスト8入りに貢献しました。

しかも、高校時代は投手だけを務めていたわけではありません。

立命館大学のインタビューでは、高校2年生まで外野を中心に、5番・ライトとしてプレーしていたことが紹介されています。

その後、高校2年生の冬以降のトレーニングで投手として頭角を現していきました。

今の奪三振能力からは、早い時期からずっと投手一筋だった姿を想像してしまいますが、打線の中軸も担っていたんですね。

侍ジャパン公式のアンケートでは、野球人生で一番うれしかったこととして、高校3年生で甲子園に出場した経験を挙げています。

有馬伽久の大学での経歴!日本代表と10者連続奪三振

立命館大学に進学した有馬選手は、1回生の春からベンチ入りし、リーグ戦にも登板しています。

大学での主な歩みはこちらです。

2023年・1回生春からベンチ入り、リーグ戦初登板
2024年・2回生秋の関西大学戦でリーグ戦初勝利
2025年・3回生春関西学生リーグ最優秀投手賞
2025年・3回生夏第45回日米大学野球選手権大会の大学日本代表に選出
2025年・3回生秋明治神宮大会で10者連続奪三振、チームは準優勝
2026年・4回生9月12日にプロ野球志望届を提出

立命館大学を選んだ理由は東克樹選手への憧れ

有馬選手が立命館大学を志望した理由には、愛工大名電と立命館大学の先輩・東克樹選手への憧れがありました。

関西圏で進学先を探すなか、東選手の母校でもある立命館大学に関心を持ち、セレクションに参加したそうです。

憧れの投手と、高校も大学も同じ進路。

目標にしている選手の足跡をたどっていると知ると、進学先の選び方にも本人の思いが見えてきます。

大学入学時から掲げていた個人の目標は、ドラフト1位でプロ入りすることでした。

明治神宮大会では53年ぶりに大会記録を更新

有馬選手の名前を印象づけたのが、2025年の明治神宮大会で記録した10者連続奪三振です。

初戦で6回から2番手として登板し、53年ぶりに最多連続奪三振の大会記録を更新しました。

10人と続けて対戦して、その全員から三振を奪うという投球です。

一つ打ち取るだけでも大変な全国大会で、この数字は強烈ですね。

立命館大学はこの大会で創部以来初の準優勝を果たし、有馬選手もその躍進を支えました。

結果が出ない時期には長谷川滋利さんの助言も

記録をつくる前には勝ち切れない苦しさもあり、大学OBの長谷川滋利さんから受けたメンタル面の助言が支えになったそうです。

具体的には、深呼吸をすることや、自分が一番よかったときの投球をイメージすること。

球速や変化球の改良に目が向きますが、有馬選手自身は、気持ちが晴れたことが好投にもつながったと振り返っています。

さらに2026年は、冬の足首のけがなどの影響でフォームが崩れ、春から状態が上がらず苦しんだ時期もありました。

そこから下半身の使い方を見直し、走り込みやトレーニングに取り組んでいます。

華やかな記録の裏には、うまくいかない時期に自分の投球を立て直してきた積み重ねもあるんですね。

有馬伽久の家族は?兄が野球のきっかけで父の助言も

家族については、2歳年上の兄が野球を始めたことが、有馬選手自身の野球を始めるきっかけになったと明かされています。

本人のアンケートや大学の取材で確認できるエピソードを紹介します。

2歳上の兄に影響されて野球をスタート

侍ジャパン公式のアンケートでは、野球を始めたきっかけとして兄の存在を挙げています。

お兄さんの名前や現在の職業、詳しい競技歴までは、今回確認した公式資料には記載されていません。

それでも、野球との出会いが家族の中にあったことは分かります。

大学日本代表にまでつながる道の最初に、お兄さんの存在があったというのは印象的です。

父の助言で帽子に記した「俺、参上」

もう一つ目を引くのが、父親の助言で高校時代の帽子に記していたという「俺、参上」の言葉です。

大学のインタビューでは、自分のモチベーションを高める言葉として紹介されており、大学ではグローブに記していると明かされています。

なかなかインパクトのある言葉ですが、マウンドに向かう自分を奮い立たせる合言葉なのかもしれません。

なお、両親の職業や家族全員の人数などは、確認できた資料では明らかになっていません。

有馬伽久の球速や球種は?三振を奪える左腕

有馬選手の持ち味は、最速151km/hの直球とスライダーなどを武器に、三振を狙える投球です。

  • 最速151km/hのストレート
  • 空振りを狙うスライダー
  • カットボール、カーブ、チェンジアップ、ツーシームも操る

2025年の侍ジャパン公式プロフィールでは、本人が当時の最速を149km/hと回答しています。

その後の2026年の選手紹介では最速151km/hとされており、球速の数字を見る際には掲載時期にも注目です。

本人も、どんな場面でも三振を取りにいく攻めの姿勢をアピールしています。

10者連続奪三振は、まさにその強みが記録として表れた場面といえそうです。

まとめ

有馬伽久選手は、愛工大名電から立命館大学へ進み、大学日本代表も経験した左腕です。

  • 名前の読み方は「ありま がく」で、奈良県田原本町出身
  • 出身中学は田原本中学校で、軟式野球部に所属
  • 愛工大名電では高校3年夏の甲子園ベスト8に貢献
  • 2025年の明治神宮大会で10者連続奪三振を記録
  • 野球を始めたきっかけは2歳年上の兄で、父の助言も支えになっている

外野手としてプレーしていた高校時代から、全国の舞台で三振を重ねる投手へ。

記録のすごさに加え、家族や先輩の言葉を力に変えてきた歩みも、応援したくなる選手です!

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