福井県北陸高校の野球部を指導する林孝臣監督。
林監督は、2024年の夏の甲子園で北陸高校を2年連続出場に導きました。
そんな林監督がどのような人物なのか、詳しく知りたいですよね。
今回は、林孝臣監督の経歴とプロフィールを調査しました!
林孝臣監督のwiki経歴プロフィール!
- 名前:林孝臣
- 読み方:はやし たかおみ
- 生年月日:1982年6月22日
- 年齢:42歳
- 出身地:福井県鯖江市
- 高校:敦賀気比高校
- 大学:立正大学
林孝臣監督は中学時代、鯖江ボーイズに所属しており、その後は鯖江ボーイズのコーチも務めました。
コーチ時代には、侍ジャパンで活躍するレッドソックスの吉田正尚選手を教え子として指導していました。
吉田選手が敦賀気比高校に進学するのと同時に、林監督は同校のコーチに就任し、吉田選手を計6年間指導したそうです。
巨人の投手コーチ・内海哲也とチームメイトだった!
林孝臣監督は敦賀気比(つるがけひ)高校の出身で、高校時代には、巨人や西武で活躍し現在は巨人の投手コーチを務める内海哲也さんとチームメイトとしてプレーしていました。
敦賀気比高校は野球の名門校で、林孝臣監督の同期には、他にも元中日・ソフトバンクで活躍した仲澤忠厚さんや、元巨人の李景一さんといった名だたるメンバーがいました。
林孝臣監督は、そのメンバーの中で最終学年には主将を務めています。
甲子園選抜辞退に追い込まれていた
1999年、林孝臣監督が2年生だった秋の福井県大会と北信越大会では、圧倒的な強さで優勝を果たしました。
続く明治神宮大会でも準優勝を飾り、翌春のセンバツ出場権を獲得。
翌年の3年次、2000年春の甲子園では、北陸初の優勝の期待がかかっていました。
しかし、選抜直前に、部員が酒気帯びで無免許運転中にバイク事故を起こすという重大な事件が発生し、やむなく出場を辞退することに…。
その年の夏、県大会決勝で福井商に惜しくも敗れ、林孝臣監督は、甲子園の舞台に立つことなく高校生活を終えることになりました。
立正大学から民間企業へ
林孝臣監督は高校卒業後、立正大学に進学し、大学では内野手として活躍しました。
卒業後は、企業に勤務するとともに、中学硬式野球チームの指導者(鯖江ボーイズ)としても活動しました。
母校・敦賀気比高校のコーチに就任
サラリーマンとして5年間のキャリアを積んだ後、敦賀気比(つるがけひ)高校のコーチをしていた東哲平(あずま てっぺい)監督からの誘いを受け、母校である敦賀気比高校のコーチに就任しました。
敦賀気比高校では、東哲平監督の下で10年間コーチを務め、2015年春の選抜高校野球大会では敦賀気比高校を福井県勢初の優勝に導いています。
また、北陸勢として春夏通じて初めての甲子園制覇も達成しました。
2015年春の選抜高校野球大会で敦賀気比高校を福井県勢初の優勝に導き、北陸勢として春夏通じ初めての甲子園制覇をもたらした
引用元:福井新聞オンライン
北陸高校の監督に就任し、甲子園へ!
林孝臣監督は2019年9月に北陸高校の監督に就任しています。
2022年秋には、北信越大会で敦賀気比高校を破り、北陸高校に34年ぶりの優勝をもたらしました。
この勝利により春の甲子園出場権を獲得。
林監督は監督として初めてチームを甲子園に導くことに成功し、監督としての大きな功績となりました。
その後も勢いは衰えず、2023年にはセンバツと夏の甲子園に出場。
さらに2024年には、北陸高校野球部創部以来初めてとなる2年連続の夏の甲子園出場を果たしました。
林孝臣監督は、2019年秋の就任当初から忍耐の重要性を指導していて、次のように語っています。
「少しの我慢が未来を変える。つらくても全力で走り続けることが大切だ。しつこく我慢し続ければ、必ず成果が見えてくる」
どんなに辛い状況でも全力で挑み続けることで、未来に変化をもたらす力があると教えてくれる、力強い素敵な言葉ですね。
このような指導が部員たちの成長の糧となり、甲子園出場といった成果に繋がっているのでしょうね。
僕が(高校時代にチームメートの不祥事が発覚して)選抜に行けなかった苦い思い出がある。
この子たちに連れてきてもらって本当に幸せ。
林孝臣監督の評判
大変慕われている監督のようですね。
厳しい指導の奥には、きっと深い愛情があるのでしょう。
まとめ
今回は北陸高校の林孝臣監督についてご紹介しました。
林監督率いる北陸高校のさらなる躍進を期待しています!
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