アジア人シェフとして初めてフランスでミシュラン三つ星を獲得したことで知られる小林圭さん。
彼がどのようにその道のりを歩んできたのか、経歴が気になりますね。
小林圭シェフのwiki経歴まとめ
小林圭さんの経歴は以下の通りです。
- 1977年8月29日:長野県の料理店に次男として誕生
- 1992年:15歳で料理人を目指し、高校を中退
- 1992年~1996年:長野県茅野市の会員制ホテル『東急ハーヴェストクラブ蓼科』で勤務
- 1996年~1998年:東京のレストランで経験を積む
- 1998年12月:21歳で渡仏
- 1999年~2003年:南仏やアルザス地方の星付きレストランで地方料理を学ぶ
- 2003年~2010年:『アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ』に勤務
- 2011年:パリに自身の店『KEI』をオープン
- 2012年:ミシュラン一つ星を獲得
- 2017年:ミシュラン二つ星に昇格
- 2020年:アジア人シェフ初のミシュラン三つ星を獲得
ざっと見るだけでも、小林圭さんの経歴は本当に凄いですね。
小林圭の高校中退からミシュラン三つ星までの道のりが凄い!
ご両親の秀俊さんと範子さんは、下諏訪町御田町で「ダイシメ惣菜店」を経営していましたが、2024年4月に高齢を理由に地元の皆様に惜しまれながら閉店しました。
料理人を目指したきっかけは制服だった!
理由は、テレビで見た「料理界のダ・ヴィンチ」と称されるシェフ、アラン・シャペルが着ていた制服に強く惹かれたからだそうです。
この道に入ったのは、これ(自分の服を指し)が理由です。
白いシェフのジャケットがカッコよかったからなんです。
会員制ホテルでの4年間の厳しい下積み
料理人を目指すことを決意した小林圭さんは、地元長野県茅野市にある会員制ホテル『東急ハーヴェストクラブ蓼科』の料理長に直談判しました。
その際、料理長から提示された条件は、「友達と縁を切る」「彼女を作らない」「スキーをしない」「ファストフードは食べない」「通学をやめる」というものでした。
高校を辞めたいという気持ちがあったという圭さんは、この条件を受け入れ、進学した高校を中退。
そして、覚悟を持って料理人の道を進むことを決断しました。
東京のレストランでの2年間の経験
4年間の下積み時代を過ごした後、小林圭さんはフランス渡航を見据え、『東急ハーヴェストクラブ蓼科』の料理長に紹介された東京のレストランで2年間の経験を積むことになります。
小林圭さんが働いていたとされる東京のレストランは、こちらの投稿から、恐らく東京都世田谷区奥沢にある「シェ シミズ(Chez Shimizu)」である可能性が高いです。
圭さんは、長野での4年間と東京での2年間で、一生分怒られたと語っています。
料理だけではなく、人として生きていくための基礎を学んだというこの6年間は、小林圭さんのキャリア形成にとってとても重要な期間だったと言えますね。
21歳で渡仏、しかし1か月半で帰国
渡仏当初、圭さんは言葉がわからず、厨房で覚えた片言のフランス語しか話せませんでした。
圭さんはパリに3日間滞在した後、地方のレストランで働く予定だったのですが、話が通っていなかったため立ち往生。
持っていた15万円を節約しながら過ごしましたが、お金は次第に減り、3日間でバゲット1本を食べる生活を送っていたそうです。
結局、1か月半パリで過ごし、栄養失調の状態で日本に帰国することになりました。
再渡仏後、わずか2週間で店が閉店
日本に帰国していた1か月間、アルバイトをして資金を貯めた圭さんは再びフランスへ渡ります。
別の二つ星レストランで働き始めるも、2週間後にその店が閉店というトラブルに見舞われました。
その後、移転したのはラングドック地方にある二つ星(現在は三つ星)の「オーベルジュ・デュ・ヴュー・ピュイ」。
ここでは朝8時から仕事を始め、早くても夜中の2時まで作業に追われ、空腹でも休憩をとる時間がないほど忙しく働いていたそうです。
朝8時から夜中の2時まで働くなんて、かなり過酷ですね…!
小林圭さんの料理に対する情熱が伝わってきます。
こうした厳しい環境での経験が、圭さんのスキルを磨く大きな要因になったのでしょうね。
パリのトップシェフのもとで最後の仕上げ
南仏や地方の星付きレストランで地方料理を学んだ圭さんは、パリのトップシェフの下で最後の仕上げをしたいと考えていました。
そして、アラン・デュカスが指揮する三ツ星レストラン『プラザ・アテネ』で働き始めます。
圭さんは最初、コミ(下働き)のさらに下の2番手としてスタートしましたが、異例のスピードで昇進し、わずか2年でスーシェフ(副料理長)に昇格しました。
『プラザ・アテネ』では7年間勤務し、そのうち5年間をスーシェフとして過ごしました。
しかし、リーマンショックの折に辞めることを決意。
次なる目標であるシェフ(料理長)を目指すことになりました。
パリに自身の店『KEI』をオープン
2011年、小林圭さんは念願のシェフになると同時に、ルーブル美術館から徒歩数分の場所に自身の店『ケイ(KEI)』をオープンしました。
『KEI』は2011年にオープンし、1年も経たないうちに一つ星を獲得。
その5年後の2017年には二つ星を獲得し、さらに2020年には名誉ある三つ星を手に入れました。
それ以来、2020年から現在までの5年間、三つ星を維持し続けています。
『KEI』では、シェフ圭による7品のコースメニュー(2つのプレステージ製品を含む)と、プレステージシャンパンが1名様1杯付いて、2人で870ユーロというお値段です。
※実際のレートで計算する際は、最新の情報を確認してください。
小林圭さんの創作料理を堪能できる贅沢な内容ですね。
プレステージシャンパンも付いているため、特別な日のディナーにぴったりです。
小林圭がキムタク主演『グランメゾン・パリ』の料理を監修!
小林圭さんは、2024年12月30日(月)予定の木村拓哉さん主演の映画『グランメゾン・パリ』で料理監修を手掛けています。
世界最高峰と称されるフランス料理の本場パリを舞台に、アジア人初となるミシュラン三ツ星に挑む木村拓哉さん演じる尾花たちの戦いが描かれます。
この作品の公開も楽しみですね。
まとめ
今回はフレンチシェフの小林圭さんの経歴をご紹介しました。
「富士山ではなくエベレストの頂を目指す」と渡仏を決意した圭さん。
彼の手掛ける料理をぜひ味わってみたいですね。
↓【顔画像】小林圭シェフの妻は知加子さん!超美人で元パティシエールだった!
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