アウトドア愛好家として知られ、災害被災地での支援活動にも力を入れ活躍するタレント兼実業家の清水国明さん。
清水さんは、現役大学生時代に自身が結成したフォークデュオ「あのねのね」で芸能界デビューしています。
では、「あのねのね」とはどんなグループなのでしょうか?気になりますよね。
また、清水さんのデビュー当時の若い頃がイケメンすぎると噂されています。
そこで今回は、
- 清水国明の若い頃がイケメンなのか
- 清水国明の“あのねのね”の歴史
こちらについて調査しました!
清水国明プロフィール
- 名前:清水 国明(しみず くにあき)
- 本名:清水 國明(しみず くにあき)
- 生年月日:1950年10月15日
- 血液型:A型
- 出身地:福井県
- 最終学歴:京都産業大学法学部
清水国明の若い頃を画像とともに振り返り!
清水国明さんは、1973年の大学生時代に、タレントの原田伸郎さんと結成したフォークデュオ「あのねのね」で芸能界デビューしました。
清水国明さん…さっそくイケメンです!
爽やかな笑顔が素敵で、噂になるのも納得ですね。
相方の原田伸郎さんは、清水国明さんと同じ京都産業大学の1歳下の後輩です。
- 名前:原田 伸郎(はらだ のぶろう)
- 本名:原田 伸郎(はらだ のぶお)
- 生年月日:1951年10月1日
- 血液型:A型
- 出身地:京都府
- 最終学歴:京都産業大学経済学部
それでは、「あのねのね」について見ていきましょう。
原田伸郎との出会いは旅館の住み込みアルバイト!
清水国明さんと相方は原田伸郎さんは、京都産業大学の先輩後輩の仲だそうです。
また、相方の原田伸郎さんは笑福亭鶴瓶さんと京都産業大学の同級生でした。
その鶴瓶さんと京都の「三木半旅館」で住み込みのアルバイトを一緒にしていたのが清水国明さん。
鶴瓶さんから原田さんが、その旅館のアルバイトを引き継いだことが、清水国明さんと原田伸郎さんの出会いのきっかけでした。
旅館では修学旅行生に人気
休み時間にギターを弾いたり歌ったりして、すぐに仲良くなった清水さんと原田さんは、旅館に来た修学旅行生にもそれを披露していました。
清水さんは即興で歌を作って歌い、原田さんは得意な落語の小噺をするなどして、修学旅行生たちの笑いを取っていたそうです。
修学旅行生たちも、良い思い出になったでしょうね。
後に有名になった二人を見て、「あの時の!」と感動したことでしょう。
あのねのね結成
旅館のアルバイトの賃上げ交渉に失敗した原田伸郎さんが旅館をクビになったことで、清水国明さんは新しいアルバイトを見つけます。
それが、京都の河原町のビルの屋上のビアガーデンで歌を歌うアルバイトでした。
こうして清水国明さんは、原田伸郎さんと「あのねのね」を結成したのです。
グループ名の由来は?
当時はカタカナのグループが多かった中で、清水国明さんと原田伸郎さんは、
- 五十音順の「あ」が付く名前がいい
- 印象に残るグループ名がいい
と考えたそうです。
そこで、「あのなー、あのねー、あのねのね、かわいいやん」となり、「あのねのね」に決まったんだとか。
ひらがなの覚えやすいグループ名がかわいらしく、印象に残りますよね!
咄嗟に出てくるセンスがさすがですね。
「赤とんぼの唄」でメジャーデビュー
ビアガーデンでのアルバイトを始めた清水国明さんですが、BGM的にフォークソングを歌っていた最初の頃は、ろくに聴いてもらえなかったそう。
なんとか歌を聴いてもらいたいと考えた清水さんと原田さん。
そこで落語の小噺(こばなし)を歌にしたのが成功してドカンとウケて、そこからファンが増えていったそうです。
落語の小咄を歌にしました。「魚屋のおっさんの唄」です。♪魚屋のおっさんが屁をこいた ブリッ♪ ドカンとウケた。それからギャグソングばかり。そこから「赤とんぼの唄」もできました。
サンスポ関西レジェンド伝より
あのねのねは誰もが知る人気者に
京都のビアガーデンで面白い二人が歌っているとの噂が口コミで広がり、あのねのねは瞬く間にマスコミから注目される存在になったといいます。
清水国明さんと原田伸郎さんは、プロになろうという決意もないままメジャーデビューが決まりました。
デビュー曲「赤とんぼの唄」は、売り上げ枚数36.5万枚、オリコンチャート最高3位という大ヒットを記録。
「あのねのね」は、誰もが知る人気者になりました。
「赤とんぼの唄」の歌詞は大流行し、一時は社会現象にまでなったそうです。
こちらが大流行したという歌詞です。
赤とんぼの唄
作詞:清水国明
作曲:原田伸郎
赤とんぼ
赤とんぼの羽をとったらあぶら虫
あぶら虫
あぶら虫の足をとったら柿の種
柿の種
柿の種に足をつけたらあぶら虫
あぶら虫
あぶら虫に羽をつけたら赤とんぼ
“あのねのね”
“あのねのね”の“あのね”をとったら“…のね”
“…のね”
“…のね”に“あのね”をつけたら“あのねのね”
“あのねのね”
“あのねのね”をアンネに替えたらアンネがね
アンネがね アンネがなければできちゃった
できちゃった できちゃったのは赤ん坊
赤ん坊
赤ん坊に羽をつけたら赤とんぼ
昔は生理のことを「アンネ」と言うこともあったそうです。
歌詞の最後は「生理がない=妊娠」ということを歌っているのですね。
昭和ならではのシュールな楽曲ですね…!
飛ぶ鳥を落とす勢いのあのねのね
デビュー後は「みかんの心ぼし」などのコミックソングをリリースし、ナンセンス特有の面白さがウケて人気を獲得していきました。
また、当時CM曲としてヒットした「嫁ぐ朝に」などのフォークソングもリリースし、アイドル的な人気も獲得しました。
1973年度日本有線大賞大衆賞も受賞。
本を出せば売れるという状態で、何もかもうまくいっている印象です。
まさに順調そのものといえますね!
あのねのねに笑福亭鶴瓶がいたことも
あのねのねは、フォークデュオとしてデビューしましたが、実はデビュー前の結成当初はグループでした。
メンバーが10人もいた時期もあって、その中には、笑福亭鶴瓶さんも含まれていたそうですよ。
元々あのねのねだったんですよ、ご存じなかったでしょ?
活動は、俺はただ踊ってただけでその後落語家になったんですよね。
あのねのねがTikTokで大バズり!
あのねのねの楽曲「ネコニャンニャンニャン」が、若者たちを中心にTikTokでバズるという現象が起きました。
TikTokで30秒40秒の短いセンテンスでひとつ笑いを作るというのは、昔から僕らがやってきたことと同じだから、相性が良いのかもしれません。
FRIDAYDIGITALより
清水国明さんも、自身の楽曲で相方の原田伸郎さんとTiktokに挑戦しています。
清水さんの孫も、このネコニャンニャンニャンをやって遊んでいたそうですよ。
デビュー50周年全国ツアーも開催
あのねのねは、2023年にデビュー50周年を迎え、清水国明さんと原田伸郎さんは記念コンサートとして全国をまわりました。
チケットが3日で完売するほどの熱狂ぶりで、記念ライブにはサプライズゲストとして笑福亭鶴瓶さんも出演されたそうです。
清水さんと原田さんは、出会ってから1度も喧嘩をしたことがないという仲の良さです。
先輩後輩の良い距離感を大事にしてきたそうで、上手に関係を築いてきたのでしょうね。
まとめ
今回は、清水国明さんの若い頃の画像とともに「あのねのね」について振り返りました。
清水国明さんの若い頃は、噂通りのイケメンということが分かりました。
相方の原田伸郎さんとは、先輩後輩の良い距離感で素敵な関係でしたね。
今後の清水国明さんの活動にも注目していきたいですね!
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