マラソン選手として活躍する大迫傑(すぐる)さんですが、実力はもちろん、端整な顔立ちからも人気が高い選手です。
昔の画像や生い立ちなんかも気になりますよね。
今回は、その大迫傑選手の歴史を探っていきたいと思います。
大迫傑の生い立ちは?
東京都町田市生まれの大迫傑選手は、男3兄弟の次男として育ちました。
隣はお兄さんでしょうか、手をひかれて嬉しそう。
とてもかわいらしいですね!
- 名前:大迫 傑(おおさこ すぐる)
- 出身地:東京都町田市
- 生年月日:1991年5月23日
- 小学校:町田市立金井小学校 (1998年~2004年)
- 中学校:町田市立金井中学校 (2004年~2007年)
- 高校:佐久長聖高等学校 (2007年~2010年)
- 大学:早稲田大学 (2010年~2014年)
小学生時代、野球少年からの転身
幼少期は藤の台少年野球部に所属し、主にセカンドのポジションを守っていたという大迫選手。
少年野球に打ち込んでいましたが、4年生の時に転機が訪れます。
マラソンで大会で優勝!
町田市こどもマラソン大会で優勝!
このことをきっかけに、陸上をやりたい!という思いが膨れ、9歳から陸上を始めます。
何事も一生懸命に取り組む子供時代の様子がうかがえますね。
陸上をやりたい!陸上部を立ち上げた中学生時代
中学生時代は、なかなか練習環境が整わず苦労されたそう。
陸上部がない…!
入学当初、金井中学校は顧問不在により陸上部が休止状態でした。
そのため、最初はクラブチームに入ったり他校の練習に参加させてもらったりしていた大迫選手。
2年生になり、彼のご両親の協力もあったことで願いが叶い、学校に陸上部が立ち上がります。
何としても陸上をやりたい大迫選手の意思の強さが読み取れるエピソードですね!
3年次には、全国大会3000メートルで3位の活躍!
この活躍が目に留まり、高校からスカウトを受けます。
トップへのこだわり!過酷な高校生時代
親元を離れ、単身長野県へ!
スカウトを受け進学したのは、陸上の名門・佐久長聖高校。
制服姿が眩しいですね!
どのような高校生時代を過ごしたのでしょうか?
大迫選手は、のちにこう話しています。
1日の自由時間が1時間あるかないかで、ずっと忙しくしていました。とても濃い時間でしたけど、もう2度とやりたくないですね(笑)
https://www.joqr.co.jp/qr/article/40934/
さすがトップ選手を多く輩出している名門校だけありますね!
厳しい環境下であったことがうかがえます。
トップへのこだわり
また、大迫選手は『1番』にこだわり、常にトップを意識していたそうです。
「食事も風呂も常に1番。彼が3年生になって新しい寮が完成すると、『1番』のげた箱を確保するためにすっ飛んで行った」
高見沢勝監督https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/athletics/news/202108080000828.html#goog_rewarded
負けず嫌いなアスリート気質をもつ大迫選手だからこそ、高校生時代も大きな活躍をみせました!
全国高校駅伝、初優勝!
全国高校駅伝では2年次にアンカーの大役を果たし、佐久長聖高校の初優勝に大きく貢献!
翌年3年次、チームは4位でしたが、個人では1区で区間賞を勝ち取っています。
大学生時代、いちばん『世界』に近いのは…
スポーツ推薦で早稲田大学スポーツ科学部へ進学した大迫選手。
何校かから声をかけられたそうですが、早稲田大学を選んだ視点は、「1番世界に近いのは…」というものでした。
この頃から世界を見据えていたのですね!
入学した年に早大は、出雲・全日本・箱根の大学駅伝3冠を達成!
大迫選手は1年次からエースとして活躍しました。
順調な競技生活を送っていましたが…ここで大きな出来事が訪れます。
極秘の学生結婚 …!
早稲田大学在学中に、3学年年上の元SKE48橋本あゆみさんと結婚!
2012年に長女が誕生しています。
周りに迷惑がかかるという理由で卒業するまでは公にできず、この出来事は、限られた人しか知らないトップシークレットだったのです。
陸上に集中させてあげてほしい
夫の父母から「傑が結果を出すことが家族が幸せになれる唯一の方法だから、今は陸上に集中させてあげてほしい」と言われて、私もそうだなと思って。~中略~
https://chanto.jp.net/articles/-/1004356?display=b
夫も父母と同じで、残り2年間の大学生活でどれだけ強い選手になれるかということを考えてたと思います。
このように妻のあゆみさんがインタビューに答えていることから、この出来事は大学2年生~3年生の時だと推測されます。
2年間も内緒にしなければならなかったのは、辛いですね。
箱根駅伝では異例のパパランナー
4年間通して、大学3大駅伝・全大会のメンバーに選出され活躍した大迫選手ですが、密かにパパランナーとしての歴史も刻みます。
総合優勝を果たした1年次、その翌年からは4位、5位、4位という成績でしたが、駅伝ファンにはたまらない4年間だったでしょうね。
日本選手権で2冠達成!オリンピック初出場
日本選手権で10000m・5000mの2種目で優勝を果たし、トラック競技で、リオ2016オリンピック代表に選出。
結果は10000mで決勝17位・5000mで予選敗退でしたが、常にストイックにスポーツに打ち込む姿が素敵です。
2度目のオリンピック出場、そして引退…!
マラソンで東京オリンピックの切符を手にした大迫選手ですが、東京2020をラストランとし、引退することを発表します。
そして2021年8月8日に行われた男子マラソンで6位入賞を飾り、宣言通り引退しました…!
「多くの選手にとって、東京オリンピックは大きな大会で、そこへ向けて全力を尽くす。言い訳を作れる環境を捨てるのがかっこいいと思ったのが1つ。プラス、アメリカやケニアに行って、日本でいろんな方にお会いする中、新しい興味も出てきた。これという1つはないのですが、今、辞めるのが一番きれいなのじゃないかと思った」
https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202109280000592.html#goog_rewarded
もう一度…!刺激のあるわくわくした場所に立ちたい
一度は引退した大迫選手ですが、わずか半年で現役復帰をしています。
ライバルであり憧れの存在でもあるチームメイトの走りを見て気持ちが熱くなったそう。
大迫選手第2章の幕開けですね。
2024年…パリオリンピックへ!
大迫選手はパリ2024オリンピックへの出場が内定しています。
マラソン代表2大会連続出場ということで、活躍が楽しみですね!
まとめ
今回は、大迫傑選手の生い立ちを昔の画像とともに見ていきました。
現在は2児のパパでもあり、子どもたちもオリンピックを楽しみにしていることでしょうね。
大迫傑選手の活躍に期待です!
大迫傑選手の次女で子役の大迫鈴さんの記事についてはこちらをご覧ください。
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